けらけらむしざっき

雑記。いかに楽に、幸せに生きるか。

いかに楽に、しあわせに生きるか、ということについて。

サブタイトル?的なものを、「いかに楽に、しあわせに生きるか」というものにしています*1。これをつけたのは大分前なので、もうなんでこれにしたのかはさっぱり覚えてないんですけれども。

それでも、やっぱりこれって大切だよな、と思います。だってしあわせって大切じゃないですか。理由になってない?うーん、しあわせが大切ってもはや説明できないレベルのものな気がします。公理みたいなもので。もうそれを認めた上でスタートしましょう、的な。

すべての活動は、しあわせになるという目標にもとづいて行われているのである、とか言っちゃうと一気にきな臭くなる気がしないでもないですが、それでもやっぱ最後はそこに行き着いてしまう気がします。お金持ちになりたい、であっても名声が欲しい、であってもなぜ?と聞かれると、だってそれがあればしあわせじゃん、というところに究極的には落ち着いてしまうような。

そんなこんなな、すべての活動がしあわせになるという目標に基づいているのか、という大変面倒なテーマは置いておくとしても、しあわせって大切だよね、っていうのは共通理解として成立するんじゃないか、と思います。

で、もうひとつの、楽にってのも大切だと思うんです。だって大変なのは大変じゃないですか。ただし、楽にってのは、時間とか労働量とかの話よりも、ストレスの量の話だと思います。ストレスフルだと疲れちゃいますから。これもあんまり理由になってないけど。

要するに、ストレスが少ない環境でストレスが少ないことをしながら、しあわせに生きたいっていう甚だ難しいことがやりたいわけです。要してない。

 

そんなことを考えながらここまで生きてみて、それをやることがしあわせに繋がるのか?ということを考えるのが良いような気がしています。例えば、一流企業に就職すればしあわせになれる、と思っていても、思い描くしあわせの形が一家団欒だったら、その手段はあんまり適当じゃないかもしれない。

まあ、しあわせってものは、行為の結果として得られる(例えばお金持ちになって良いものを買う)だけじゃなくて、行為自体でも得られる(例えばエモいことをしているとき)ものですから、そのあたりのしあわせの総量を最適化できるように考えて行動できると良いですよね。

甚だ面倒なことに、今は漫画が読みたい(それをすることがしあわせを最大化する)としても、1日終わるまでになにかしらの努力をしていないと、その罪悪感でしあわせが低下するみたいな残念なこともあります。その辺のマイナスも考えなきゃいけないので、結構最適化って大変なんですよね。

そもそも、自分がなににしあわせを感じて、なにをしなければしあわせが低下するのかなんてなかなかわかんないし。それでも、そういうことを意識しながら生きていると、意識していないよりは良い生活が(少なくとも僕にとっては)できる気がしています。

 

ところで、だいたい1段落が140文字前後になっているんですが、これはTwitterの呪縛でしょうか。Twitterは人の思考形式に影響を与えるのか。面白いテーマですね。関係ないけど。

*1:最後の段落まで書き終えて気づきましたけど、しあわせは漢字表記でしたね。なんだか、しあわせ、という言葉に残念ながらどこか違和感を感じるようになってしまったために、わざと平仮名で書いて違和感を表現しているのだと思います、多分。しあわせなんて、自分の中だけにある概念であって、ほかの人と全く同じものを共有できるもんでもないからね。